- トミナガ:
- その当時(2006年当時)、ユニゾンを育ててくれたとか、いっしょに歩んでくれた方ってだれになるのかな。
- 鈴木:
- (何人か名前は挙がるものの) 育てたっていう人はなかなかいないですよね。ほんとにいろいろな人からいろいろなことを言われて、全部はねのけてたっていうか。
- 斎藤:
- あ!wild gun crazyの(遠藤)冬真さんは?
- 田淵・鈴木:
- そうだよね。冬真さんだよね。
- 鈴木:
- 冬真さんと水口(浩志)さん(Beat Happening!)じゃない?
- 斎藤:
- 水口さんもそうだね。最初は冬真さんで、次に水口さんで……。
- 田淵:
- 冬真さん、水口さん、周平さんじゃない?
- 鈴木:
- あ!周平さんがいちばんデカい。
- トミナガ:
- いやいや、俺はいいよ。
- 鈴木:
- いや、これは全然お世辞とかじゃなくて、周平さんがいちばんデカいです。
- 田淵:
- 育てられたっていう面では、周平さんがいちばんデカい。
- トミナガ:
- 当時はライヴはどれくらいやってたの?
- 鈴木:
- だいたい4、5本はコンスタントにやってたよね。
- 田淵:
- 月に使えるバイト代の可処分所得がだいたい5万くらいで、1回ライヴやるとひとり1万取られてたから(笑)、5回はできるだろう……みたいな。「5回はイケる」とか言って、やってた。
- 一同:
- (じわじわ笑う)
- 斎藤:
- すごいよなあ……。
- 田淵:
- なにが「5回はイケる」だっていう。
- 鈴木:
- 週2回のスタジオ(練習)もコンスタントに続けていたから、そのなかで田淵の曲ができてきたらカタチにするし、できてなければ練習してました。
- ユニゾンは結成翌年の2005年に2枚の自主音源をCD-Rで制作。2006年初頭からいくつかのコンピレーションアルバムに参加します。トミナガは前述したとおり2006年5月の下北沢Daisy Barで初めて彼らの演奏を目の当たりにします。そのきっかけは後述しますが、まずはそのころの話をもう少し。
- トミナガ:
- そうやって自主音源を作ったり、いろいろなコンピに参加するようになって、自分たち的には「じゃあ、そろそろどうしよう」みたいなことはあったの?さっき、たぶちがプロでやっていく気はもともとなかったみたいなことを言ってたじゃん。こうちゃんはどうだったの?
- 斎藤:
- 僕はやりたかったですね、プロで。
- トミナガ:
- なにか手応えはあった?
- 斎藤:
- 手応えっていうのはたぶん、オトナの人がライヴハウスに来だしてから……2005年の末くらいから声をかけてもらう機会がちょこちょこ増え出して、そういうときに意外とプロへの道が近いところにあるんだなということに気づいたときに、やってみたいなというふうに思いました。
- トミナガ:
- たぶちとたかおは?
- 田淵:
- もともとプロになるつもりがなかったのは、自分の曲にそんなに需要があるとは思ってなかったので、俺はすごく好きだけど、別に人の気持ちなんかようわからんから、やっぱカッコいいバンドをいっぱい知ってたから……ハイロウズとかピロウズとか……そういうバンドにくらべたら全然カッコわるいし、まあ需要もないだろうと思って、(プロのことを)考えてなくて。で、最初に声をかけてきたオトナの人が斎藤くんだけを引き抜こうとしてたので……。
- トミナガ:
- !?
- 鈴木:
- あったね……。
- 田淵:
- まあ、曲とか詞についてはやっぱり需要がないんだろうなと。コンピに呼ばれるとか参加するのに関しても、仲間内で呼ばれたし……ぐらいな感じだったですね。で、たぶん周平さんと会うまで、プロになるつもりはなかった気がします。「どうやらほんとに需要があると信じていいかもしれない」っていう気になったのは、最後のほうだったですね。
- トミナガ:
- そっか。たかおは?
- 鈴木:
- 僕はプロにはずっとなりたくて、でも「プロになりたい」っていうのも全然現実的じゃない……どうやってなればいいかわからないし、自分の音楽で食えるなんて想像もつかないし、ただなんかこう生きてて、自分がちょっと人より得意だって誇れるものがもうドラムしかなかったから……「すがりついてた」って感じですね。それしかないから、やるしかないっていう。それ以外で自分が生きてる意味がわからないっていう感じでした。
- 初めてユニゾンのライヴを観た僕は、その会場で買ったコンピレーションアルバム2枚に収録されていた「流星行路」、「ライトフライト」をくり返しくり返し聴いていました。iPodの再生回数、ダントツの2トップでした。なんて不思議なチカラを持った音楽なんだろう。斎藤くんの声の魅力、田淵くんが作るファンタジックな世界観、浮遊感とスピード感の共存。今でもこの2曲(のちにCD化されるものとは別バージョンなのですが)を聴くと、夢見心地な気分になります。おそらく物販に立っている彼らに声をかけて連絡先を聞いたのでしょう。対外的な窓口をしていた斎藤くんと会うことになりました。当時、田淵にはものすごく警戒されていた印象を持っています。
- トミナガ:
- 当時、堂島孝平くんのリハーサルをやっていたユーザスワセダスタジオに斎藤くんに来てもらって、ロビーで話しました。そのとき僕、なんて言ってた?
- 斎藤:
- ……えっと、えっと、「ライヴ制作にチカラがある事務所です」っていうアピールをされていました……。
- トミナガ:
- 正しいなあ、俺(笑)
- 田淵:
- ウソは言わないなあ。ウソを言わないオトナの人もいるんだ(笑)
- 斎藤:
- たぶんそれがいちばん記憶に残ってますね。
- トミナガ:
- もう「いっしょにやりたい」って言ってたんだよね、たぶん。「うちの事務所でいっしょにやりませんか」って。
- 斎藤:
- そうです。「もうちょっと時間をください」という感じで僕らは言ってて。で、周平さんは「契約とか全然しなくていいから、いつでもツアー組むから相談に乗るよ」って感じで言ってくれてて、もう僕らはライヴをやるためにやっているバンドだったんで、そこが……よかったのかな?
- トミナガ:
- 僕はそのあとしばらくはひたすらライヴを観に行ってるだけだったね。バンドのなかでは、そういった音楽事務所からいくつか声をかけられるなかで、どういった会話がなされていたの?
- 鈴木:
- あ、そうだ。冬真さんがさ、「1年間観に来てくれる人といっしょに仕事をしたらいい」っていうさ、すごいいいことを俺らに言ってて。
- 斎藤:
- あ、そうだったんだ。
- 田淵:
- おー。へえ、そうなんだ。
- 鈴木:
- だから、俺らから「やりたいです」ってことを言わずに、こっちから連絡せずに自然についてきてくれる人ってので、ふるいにかけてた気がする。そんなことは意識してました。