- トミナガ:
- そのYAMAHAの東京予選はどこでどんな感じだったの?
- 斎藤:
- 渋谷のRUIDO K2で、20組くらい出たのかな。順番に2曲ずつ披露していって、YAMAHAの社員さんが審査をやっていて、最後に合格者発表っていって2組発表されるんですけど、それでうちとニコ(NICO Touches the Walls)が選ばれたという。
- トミナガ:
- はー。スゴイね……。ユニゾン、合格したんだね。
- 斎藤:
- でも発表のとき、貴雄いなかったよね。
- 田淵:
- いなかった。
- 鈴木:
- ライヴ、終わるじゃん。で、ほかのバンドが演奏して、そのあと発表あるじゃん。それまでのあいだずっと雀荘に行ってた(笑)。絶対、受かんないと思ってたもん。
- 田淵:
- いや、なんかね、「どうせ受かるから」って言ってたよ。
- 鈴木:
- あ、そっちか。そっちパターンか。
- 斎藤:
- カッコいいな(笑)
- 田淵:
- 俺と斎藤くんは受かる気ゼロだったけど。
- トミナガ:
- NICOはその日、リアルタイムで観た?
- 斎藤:
- 観ました。
- 田淵:
- 格が違いました。
- トミナガ:
- へえ。
- 斎藤:
- 10代には見えなかったですね。
- 田淵:
- 格が違うなんてもんじゃなかったです。そのまま彼らは全国大会まで行きましたからね。
- 斎藤:
- 僕らは東京の地区予選を抜けただけで、準決勝がその次(8月)にあって(SHIBUYA BOXX)。
- 田淵:
- そこで落ちました。
- トミナガ:
- 7月31日のYAMAHAがデビューライヴだよね。そのあとライヴはどんな感じで進めていきましたか。
- 斎藤:
- 初ライヴハウスが2004年の10月に大塚CAVEで、サークルの先輩に紹介してもらって、いきなり50分くらいのステージで。
- 田淵:
- 8曲くらいやった。
- トミナガ:
- それは全部オリジナルだよね。今でもユニゾンファンの人たちが聴ける曲はなにかあった?
- 田淵:
- 「スノウリバース」はやってましたね(2ndシングル「マスターボリューム」のc/w)。「流星行路」はまだなかったかな。
- 斎藤くんいわく、カタカナの「ユニゾン」というバンド名はダサいという自覚はあって、そこに英単語をふたつくらいくっつければなんとかなるなと思って、「UNISON SQUARE GARDEN」という名前を考案したそうです。2004年10月の大塚CAVEから、このバンド名を使用。ニューヨークのアリーナ会場「MADISON SQUARE GARDEN」をもじった命名でしたが、宏介もあまりそれを強く意識したわけではなく、なんとなく語呂がよかったからとのこと。田淵は斎藤くんからメールが来て、「あ、いいんじゃないですか」って思ったそうです。当時まだマジソンスクエアガーデンを知らなかったらしい。
- トミナガ:
- いよいよユニゾンはライヴ活動を開始します。ユニゾンというと下北沢出身という印象がありますが、下北沢に進出するのは2005年以降ですよね。それまではどこでライヴをやっていたのでしょう。
- 田淵:
- 最初は吉祥寺WARPと新宿JAM、あと学芸大学のMAPLE HOUSEに出てて。
- 鈴木:
- ノルマが安かったからね。ノルマ安い順に出てたよね。JAMはちょっと高めですけど、WARPとMAPLEは極端に安くて、¥12,000-払えばライヴができましたから。
- 斎藤:
- で、JAMの店長さんが下北沢のERAに推薦してくれて、初めて下北沢でライヴをやりました。
- 当時は、ブッキングマネージャーさんやお客さんたちの愛のムチも受けたようです。
- 田淵:
- アンケートで「音楽になってない」って書かれましたね。
- トミナガ:
- ほー、この3人をもってして。
- 斎藤:
- いやいや……。
- トミナガ:
- 中学くらいからなんらかのカタチで音楽活動をしていたコたちが、大学1年2年にもなって「音楽になってない」と言われる。
- 鈴木:
- YAMAHAでもなんかあったよね。
- 田淵:
- あ、そうそう。YAMAHAの審査員の人から「ベースはもうちょっとムーヴを抑えたほうがよい」と。
- 鈴木:
- 落ち着け、と(笑)
- トミナガ:
- 「ムーヴを抑える」!
- 田淵:
- 「ムーヴ」ってなんだろう(笑)
- トミナガ:
- そんな、ルー大柴的な……。
- 斎藤:
- (笑)
- 田淵:
- 「よくわからないですね」って言って。
- トミナガ:
- わかるでしょ!
- 田淵:
- え?わかんないです。なんの動きなの。ベースラインとかそういうことなのかな。
- 鈴木:
- そっちだったら、まだわかるけど、たぶん動きの……。
- 斎藤:
- 物理的な「ムーヴ」が……。
- トミナガ:
- (遠慮気味に) 当時から、動きが……おかしかったですか?
- 田淵:
- おかしくないです(笑) 。今、おかしくない……。おかしい?
- 斎藤:
- ま、BRAHMANやってたくらいですからね。
- トミナガ:
- ああいう、今みたいな「振りかぶる」系な感じのベースを?
- 田淵:
- 「振りかぶる」……。
- 鈴木:
- でも、BRAHMANがどうこうってより、俺、小学校6年生のときにいっしょにカラオケに行ったんですけど、そのときからああいう動きしてましたからね(笑)
- 田淵:
- PENICILLINの「ロマンス」、歌ってました。
- 一同:
- (爆笑)
- 鈴木:
- あと、T.M.(Revolution)の「HIGH PRESSURE」ね。
- トミナガ:
- たかおはなにを歌うの?そういうときは。
- 鈴木:
- 僕はMALICE MIZERです(笑)
- 斎藤:
- すごい小学生だな。
- トミナガ:
- みんな、音楽好きだったんだね~。若いころから。
- 田淵:
- なんて言われたっけなあ。(当時ライヴハウスで)すごいボロクソ言われたんだよな。
- 斎藤:
- 言われた。すげえ高圧的だったなあ。
- 田淵:
- あ、下北こえーなと思って。
- 鈴木:
- ホメられた経験のほうが少ないよね、ライヴハウス出てさ。
- 斎藤:
- 俺、覚えてるのは、いかつい感じの店長さんに「うちのライヴハウス、どうだった?」って感じで言われて、「あ、すごいよかったです。歌いやすかったです」って言ったら、「え?あれで歌いやすかったの」みたいなこと言われて。
- 鈴木:
- うわー。
- トミナガ:
- ノルマ払った上に、そんなこと言われるとね……。
- 鈴木:
- ねえ。なんなんでしょうね。
- 田淵:
- 初めて大阪に行ったときも、「服、どうにかしたほうがいいよ」って言われて。「Tシャツ、ダサい」って。
- トミナガ:
- (笑) でも、それは、まあね……。
- 鈴木:
- ダサかったんじゃないの (笑)
- 田淵:
- 言い方がちょっとね、あまりにも……。インディーズのバンドに「服、ダサい」って言うのは早いよ。
- 斎藤:
- まあ、そうだね。早いね。
- 鈴木:
- まず開口一番、「服がダサい」ってのもよくないよね。
- 田淵:
- そうそう、そこじゃあねえだろっていう。
- 鈴木:
- 信頼関係を築いてからだよね。
- 田淵:
- そうですよ。
- 鈴木:
- うん、よかれと思って言ってくれてる人もいると思うけど、まちがってることも多いよね。
- 斎藤:
- でも、すげえなと思ったのは2回目に行ったときに、ちゃんと成長したところをホメてくれた。
- 鈴木:
- あ、それはいいじゃん。フォロー、上手い感じ(笑)
- トミナガ:
- ちなみに当時のユニゾンのホームというか、あそこですごく育ったなっていうライヴハウスはどこ?
- 田淵:
- おー、(CLUB) Queって言いてえ。Queって言いたい。
- トミナガ:
- まだ出てないよね。
- 斎藤:
- このときはまだ出てないですね。
- 鈴木:
- でもやっぱり、ようやくQueに出られてから落ち着いたっていう(2007年3月28日にEdBUSの企画で初出演)。下北系ってよく言われるんですけどほんとに大きな間違いで、下北沢にこだわって出ているバンドたちを「それじゃ外に広がらないだろ」と思いながら、いろいろなところにこだわらずに出てたバンドだったんです。
- 斎藤:
- うーん、たしかに。
- 鈴木:
- 誘われたら全部出るっていうスタンスで、月4、5本はライヴをやってたから。
- 田淵:
- え、それいつのときのホームですか。
- トミナガ:
- 僕、みんなに会うのは2006年の春なんです。
- 斎藤:
- そのときはたぶん(下北沢の)MOSAiCですね。周平さんとか(東京スカパラダイスオーケストラの)加藤(隆志)さんにも観に来ていただいて。
- 鈴木:
- そうだ、スカパラの!あれはスゴかった。